『君といつまでも?』

どーすればギターがうまく弾ける様になるのか?『毎日すこしの時間、楽器を弾いてあげる。5〜10分でいいのです』
とおいどん秋山君。『自分の一番好きな曲を楽しんでやるのが1番!練習と思ったらしんどいので楽しみながらやって
下さい』とまぼろしブルース菊池くん。そして『自分でバンバンしましょう』と我が子でもないのに冷たく千尋の谷に
突き落とすわし。

ギターを初めて手にもったのは中学2年か3年の頃である。近所のさっちゃんというわしより1つ2つ年下のイガグリ
くんがガットギターをかかえて、『禁じられた遊び』を弾いていた。そのころはギターといえばモーリスでもマーテ
ィンでもなく、なんといっても『禁じられた遊び』であった。わしも右手は3本のアルペジオで、左手は1本の指を動
かすだけで弾けるこのナルシソ・イエペソを教えてもらった。

しかし、ハゲしくギターを弾きたいと思ったのは高校受験まじかに見た東宝の正月映画『エレキの若大将』である。ギ
ターを弾けたら田沼雄一になれる。星由里子演ずる澄子さんとラブラブな学生時代をおくれるんだと思い込んだ。そー
して、高校生になって、エレキは不良だといわれてもあきらめず、ばぁちゃんの年金から7千円の長期無返済融資をう
け、40年あまり・・・現在のワトソン飛来にたどりつくわけである。

で、うそかまことか藤田まこと・・・城北高校に入ると、大麻中学出身の中野澄子さんという伝説の美少女がいたの
である。わしはすぐに恋に落ちた。運命のイタズラか、3年間同じクラスになったことはないが、高校3年の時、彼
女が病気で休んでいると聞き、わしと仲のよかった、彼女のクラスメートだった安芸くんを連れ出して、なんと池ノ
谷の自宅まで花を買ってお見舞いに行くという暴挙にでた。そのとき買った花はパッと『サイネリア』という花だっ
た。もちろんそこであの湖のシーンを思い出し、『君といつまでも』を歌ったのはいうまでもない。しかし、ギター
はどーしてあそこあったんだろ〜?澄ちゃんのであったのか?わざわざわしが持っていったのか?どっちにしても病
気が悪化したのは間違いない!ごめんよ、澄ちゃ〜〜ん!

あっ、どーすればギターがうまくなるか?だったなっ・・・・思い込みのハゲしさでアルシンド!

残念ながら澄ちゃんとの2ショット写真がないので、代わりに16だったセンチメンタリ・ジャーニーでデビュー直
後の松本伊代ちゃんと、31のイーヨーじゃったわしの2ショット・・・初めてあったころの澄ちゃんももっと可愛
い16だった。じゃぁにぃ〜〜!!

『3度目の成人式?』

本日の徳島新聞によると、昨日すだっち地方各地で成人式がおこなわれたらしい。BBSのカキコからえりちも
赤い振りそでを着て、地元の式典に参加したようだ。おめでとぉ〜!

40年上のわしにとっては、無理矢理3度目の成人式と言っても言えなくはない。ついでにおめでとぉ〜!

1度目は1971年の1月15日である。当時新浜に住んでたわしは、津田中学校で行われた成人式に出た。記念に
アルバムをもらったが、佐古小学校、城西中学校だったわしには、誰も知った顔がいなくちょっと淋しかった思
い出がある。

2度目はそれから20年後の1991年の1月15日である。当時、頭脳警察のマネージャーだったわしは、青森
クォーター(1/11)、盛岡AUNホール(1/12)、仙台青年文化ホール(1/14)と東北ライブツアーをやり、
夜通し走って昼からの生番組(?)にPANTAが出演するために、渋谷のNHKのスタジオにいた。新成人が100人
くらい集まっていて、『若い広場』的なスペシャル・トーク番組であった。

他の出演者やどんな内容だったのかはすっかり忘却の彼方である。ただそこで、マイクを持って新成人の意見を
聞くために走り回っていた何人かの若いアシスタントガールの一人が目についたので、放送終了後名刺交換を
した。彼女が当時小比類巻かほるちゃんもいた『スタンドアップ』という事務所の所属だった20代の麻木久仁子
ちゃんであった。その後1〜2年のうちにバンバンとテレビで見る様になり、そーしてこーして昨年末の騒ぎで
あった。

で、今年、わしは3度目の成人式であったが、実はもう一回、成人式に出席したことがある。1970年の1月15日
である。東京は国分寺にある徳島県学生寮で1年生としてのほほ〜んと住んでたわしは、先輩の成人式について
いった。場所はわすれたが、しっかり記念品をもらって帰った記憶がある。のどかな時代であった。

さてさて、次回は20年後2031年の1月じゃが・・・どーなんやろ?

『復活したマーチン?』

さてさてついにマーチンが復活をとげた。と言っても、地球が大好きな火星人のことじゃないよっ!(誰も知らんか)

1975年、当時仲之町にあったミュージックセンターで、Zになる前のフェアレディーにさっそうと乗っていた店長
(現LMトクシマ社長)に薦められ、その頃25才のわしは『よしだたくろうかぐや姫コンサート・イン・つま恋』
のフィルムコンサートで一発当てて、マーチンD-28をバブル買いした。

今では希少価値があるといわれているブルーケースも込みで確か28万円だった。たぶん長い船旅でメリケンから
やってきたせいか、買った時からいくぶん弦高が高く、それこそ大リーグボール養成ギターであったが、ブルーグ
ラスなバッキングではそれほど気にならなかった。

若さにものを言わせて5年間はガンガン弾いて、そのあと30年間はほとんど押し入れの片隅で眠っていたマーチン。
そーしてこーして昨年から再び現役復帰して1年がたち、35才になった今年、やたらフレット音痴が際立ってきた
ので、ついに先日3週間の手術入院ということになった。

執刀医は神山の医龍宇坂利文さんである。彼はわしらがリハビリライブをやってる、ベレッタのフリーライブ
の主催者であり、また自身もギターも持って歌っているが、その正体はなんとログハウスからギターまで作って
しまうウッディーな匠なのである。彼がなぜいつも日立のCMソング『この木なんの木気になる木〜〜』を歌っ
ていたのか、その答えがそこにあった。

で、3週間後、マーティンは手術を終え無事退院してきた。非常に弾きやすくなった成果がこの間のベレッタで
の『Billy in the lowground』である。めでたしめでたし・・・・。

で、で、実はマーチンのブルーケースも、中のカポなどを入れるスペースのふたと、ギターをおさえるクッショ
ンがとれていたので、音には影響はないが、ついでに直すことにした。修理してるれたのが、写真のかおるちゃ
んである。『両国私の部屋』をスタートに、万代町のラタンハウスや、石井のロッタハウスなどの雑貨屋を営む
名物社長である。いろんな家具の修理にも精通している彼が、マーチンのブルーケースをみるなりこう言った。
『雑な仕事しとるな〜』こうして、マーチンはギターも、ケースも35年ぶりに偉大なる復活をしたのであった。

『第3次徳島ふぉ〜く村遺跡発掘調査隊の悲劇?』

HPを3月に立ち上げた時に、奇跡的に残っていた当時の機関誌や村民のアルバムから、40年も昔のことの断片
を拾い集めた第一次発掘調査からおよそ7ヶ月。ちっか地方のとある民家の押し入れで、邪魔者扱いされながらも、
破棄されることなく、ずっと風雪に耐えしのんでいたカセットテープ、そしてあの当時郷土文化会館(現あわぎ
んホール)の大ホール(800席)で、なんと5年連続で、それも有料でコンサートをやったすべてのオープンリ
ール・テープが第2次発掘隊、第3次発掘隊により回収された。

テープケースに残されていたへたくそな古代文字から、『コンサートタイトル]『日時』『場所』や『出演者』
『演奏曲』の判読できるものから歴史をつなぎ合わせて、徐々にHPにUPする作業をやっておるが、普段整
然としている現場は写真のような有様になっておる。このままでは11/14(日)の徳島ブルーグラス・ライブ
初参加にそなえて練習することもパパならず、早く終了させねばというところで、大問題発生!

テープの中には、メモ書きがまったく無く、何が録音されているのか分からないものがいくつかある。しかし、
MD・CDラジカセはココナッツ Jr.の練習をやらなくなったとたん15年の寿命が尽きたのか、カセット部分が
動かなくなり、オープンデッキもない!早いうちにCDかDVDにして関係者に高額で売り付けて老後のたしにし
ようともくろんでおるのだが、テープの中にはカビだらけでデッキに掛けてもうまく再生できるかど〜か分か
らんものもある。う〜〜ん、どーしたもんか?誰か持っとらんか??

『えりちのネパール土産?』

今日はわしの非誕生日である。そんなわしに写真のようなミッキーのメッセージカードが添えられたかわいい
プレゼントが届いた。

大学の研修でなんとネパールに行っとったえりちからであった。中身は象の頭に手が4本あるヒンドゥー教の
神様『ガネーシャ』の置物であった。

『ガネーシャ』は『商業の神』『学問の神』なので、練習室の片隅に飾ってくれと・・そしてまたいっしょに
ライブができるのを楽しみにしていますと書かれていた。

ギターのヘッドに付けるにはちと重すぎるので、6年間いつもえりちが練習に来て弾いていた白いピアノの
上にDaxキャップといっしょに飾っておくことにした。メンバーのみんなも練習にきた時にしっかりと拝め
るように!!きっとぼけ防止にも効くであろう! えりち、ありがとう。

『伝説の赤ラベル3兄弟?』

さてさて、昨日ベレッタでのリハビリライブ第8弾が終了した。今回はマンドリンフィドル、そしてギターの
トリオ・ザ・短足バンドでの初出演であった。

『陽気に行こう』そして、35年ぶりくらいに名曲『ぶどう畑に秋がくりゃ』をやったのであるが、PAがハウリ
っぱなしで、気持ちよく演奏・・・というにはほど遠く、いやな疲れがおいどんのニコチンと共に今もまだ残っ
ている。

演奏自体はそう悪くはなかったが、声を張ろうとするとハウルの城になっちまうので、集中できずに中途半端
になってしまい、曲間で、『デ☆ビュー』10月号を見せつつ、おっさんがアイドル全国誌 に紹介されたと言っ
たMC部分が一番うけたという落ちである。

あと、今回はいつものマーチンではなく、ヤマハを使ってみた。写真は左から FG-180(音叉マーク)、  FG-
180(YAMAHAロゴマーク)、 FG-280(音叉マーク)で3台ともいわゆる伝説?の赤ラベルである。持って
いったのは、一番古い、真ん中の値打ちもん?で、1968年5月から1969年3月に製造されたものである。その
あと、ヘッドのYAMAHAロゴマークが音叉マークに代わり、赤ラベルは1972年5月まで製造され、6月からは
グリーンラベルに変わってしまう。

他の出演者もギターに関心のある人は、演奏後に興味津々でのぞきにきてくれたので、次回、また機会があれ
ばぜひステージで順次ヤマハ赤ラベル3兄弟を使ってみようと思う。