『祝100才!』

おいどん秋山くんが無事60才になってほぼ10日。本日、
わしのおふくろの15年上のお姉さんがなんと100才の誕
生日を迎えた!いや〜めで鯛。という訳で今日は徳島県徳島市長さんがお祝いにきてくれるというので、わし
も早起きをしておばちゃんが入院している国府の病院に
いってきた。

わしが佐古小学校に通っていた、今とは違った意味でピ
カピカの小学生だったころ、おばちゃんの家は徳商の近
くにあった。時々泊まりに行ってたが、その当時として
は、めずらしく、朝はトーストとコーヒーであった。わ
しはコーヒーが大好きになった。もう少し大きくなった
時、喫茶店に行ったわしは、迷わずコーヒーを注文したが、出てきたコーヒーはあのコーヒーとは似ても似つかぬ苦くて
マズイものであった。後日判明したが、おばちゃんの家でコーヒーと呼ばれていた飲み物は、実はココアであったのだ。

それから、おばちゃんの思い出をもうひとつ。わしは25才の頃、イベンターをやっていた。最初にやったのが、郷土文化
会館(あわぎんホール)での『よしだたくろうかぐや姫・コンサート・イン・つま恋』というフィルムコンサートであ
る。(余談であるが、いきなり満杯になって儲かった。その時のあぶく銭で買ったのが、今もつかっているマーチンD-28
というギターである。)その後西岡たかしさんや、バンバン、佐渡山豊さん、豊田勇造さん、そしてキャロルを解散して
ソロになった永ちゃんの最初のツアーなどもやったが、当時の宣伝方法は金がないので新聞広告などはうてず、もっぱら
ポスターの街貼りであった。

今よりは規制がゆるかったのだと思うが、あちこちの電柱や、道路標識などにダンボールに糊付けしたポスターを夜中に
貼ってまわった。人通りがまだまだ多かった元町の歩道橋は重点ポイントであった。ただ風や雨に打たれて、はがれそう
になったり、さかさになったり・・・そんな時、わしが主催してるのを知ってたおばちゃんは、通るたびにポスターを
きちんと直してくれていたらしいのである・・・

そんなおばちゃんも、足腰が弱ってここ15年はほぼ寝たきりの入院生活であるが、やっぱり100才ってのはあっぱれ
である。同じDNAが少しはわしにも流れているはずである。39年後の100才ライブ目指してがんばろ〜〜と思いなお
した、おばちゃんの100回目の誕生日、おめでとぉ〜〜!