『復活したマーチン?』

さてさてついにマーチンが復活をとげた。と言っても、地球が大好きな火星人のことじゃないよっ!(誰も知らんか)

1975年、当時仲之町にあったミュージックセンターで、Zになる前のフェアレディーにさっそうと乗っていた店長
(現LMトクシマ社長)に薦められ、その頃25才のわしは『よしだたくろうかぐや姫コンサート・イン・つま恋』
のフィルムコンサートで一発当てて、マーチンD-28をバブル買いした。

今では希少価値があるといわれているブルーケースも込みで確か28万円だった。たぶん長い船旅でメリケンから
やってきたせいか、買った時からいくぶん弦高が高く、それこそ大リーグボール養成ギターであったが、ブルーグ
ラスなバッキングではそれほど気にならなかった。

若さにものを言わせて5年間はガンガン弾いて、そのあと30年間はほとんど押し入れの片隅で眠っていたマーチン。
そーしてこーして昨年から再び現役復帰して1年がたち、35才になった今年、やたらフレット音痴が際立ってきた
ので、ついに先日3週間の手術入院ということになった。

執刀医は神山の医龍宇坂利文さんである。彼はわしらがリハビリライブをやってる、ベレッタのフリーライブ
の主催者であり、また自身もギターも持って歌っているが、その正体はなんとログハウスからギターまで作って
しまうウッディーな匠なのである。彼がなぜいつも日立のCMソング『この木なんの木気になる木〜〜』を歌っ
ていたのか、その答えがそこにあった。

で、3週間後、マーティンは手術を終え無事退院してきた。非常に弾きやすくなった成果がこの間のベレッタで
の『Billy in the lowground』である。めでたしめでたし・・・・。

で、で、実はマーチンのブルーケースも、中のカポなどを入れるスペースのふたと、ギターをおさえるクッショ
ンがとれていたので、音には影響はないが、ついでに直すことにした。修理してるれたのが、写真のかおるちゃ
んである。『両国私の部屋』をスタートに、万代町のラタンハウスや、石井のロッタハウスなどの雑貨屋を営む
名物社長である。いろんな家具の修理にも精通している彼が、マーチンのブルーケースをみるなりこう言った。
『雑な仕事しとるな〜』こうして、マーチンはギターも、ケースも35年ぶりに偉大なる復活をしたのであった。