『顔本はじめてみました!』

BBSをず〜〜〜と2年分さかのぼれば分かるが、今日3/5は短足バンドHPの誕生した日である。まずは誕生日おめでとぉ〜!
そして3年目に向かって・・・・なんにもない??

同じ頃ツイッターというのをはじめた。新しい友達できるかな??2ヶ月後の短足バンド30年ぶりの復活ライブでは何もおき
なかったが、その後のベレッタや両国や銀座のライブ、立江のミュージックパークにちらほらとつぶやき仲間(現実には会っ
た事がない方々)が見にきてくれるようになり、1年半たった昨年12月のおいどん秋山くん還暦ライブにはなんと約90名の参
加者中、10名のツイッター仲間が1500円のチケットを買って見にきてくれたというから、これはごっついことであるでないで。

そーしてこーして、1ヶ月前、2/6にfacebookというのを始めてみた。とにかくまずは登録をして、右も左も前後左右縦横斜
め、まったく何がなにやら分からん意気に勝手にやりだした。あちこちのぞいて、音楽をやってる人や、クリエイティブな仕
事をやってる人、美人なおねえさん・・・などなど、まずは徳島に住んでる人を中心に200人ほどにこちらから『友達になっ
てくれ』とリクエストを出した。それまでの人生で実際にあったことがあった人は30名弱でほとんどがまったく知らん方々
である。

で、途中、あんまり知らん人に声をかけ、facebookの方に、へんなじじぃから知り合いでもないのに、友達になってくれと
言われ困ってます的な通報があったのかどーか分からんが、1週間の『友達リクエスト禁止令』というのをくらったりもした。
それでもリクエストに答えてくれる人がいて、先日2/22のベレッタでは実際に Singer Emi ちゃんという、徳島在住のシンガ
ーソングライターさんに初めて会って、新しい音楽友達ができた。

そんなこんなで次回、7年後のプロフ浜野くんとホームズ浜く
んの還暦ライブの時には、いったい何人のfacebookフレンズ
が来てくれるのか?とっても楽しみなわしなのである。あなた
も顔本はじめてみんか?おもっしょいじょ!!わしは、ワトソ
ンでも田沼雄一でもウルトラマンせいちゃんでも京都のしのぶ
でも神戸のなぎさでもなく、昔の名前(本名)で出ておる。リ
クエストをくれたらそっこーでお応えするじょ。

写真はベレッタから3日後2/25にあったEmiちゃん(一番左)
とこのライブ終了後に、パチリ。右はがんばれボルティスじゅ
んくんである。

『祝100才!』

おいどん秋山くんが無事60才になってほぼ10日。本日、
わしのおふくろの15年上のお姉さんがなんと100才の誕
生日を迎えた!いや〜めで鯛。という訳で今日は徳島県徳島市長さんがお祝いにきてくれるというので、わし
も早起きをしておばちゃんが入院している国府の病院に
いってきた。

わしが佐古小学校に通っていた、今とは違った意味でピ
カピカの小学生だったころ、おばちゃんの家は徳商の近
くにあった。時々泊まりに行ってたが、その当時として
は、めずらしく、朝はトーストとコーヒーであった。わ
しはコーヒーが大好きになった。もう少し大きくなった
時、喫茶店に行ったわしは、迷わずコーヒーを注文したが、出てきたコーヒーはあのコーヒーとは似ても似つかぬ苦くて
マズイものであった。後日判明したが、おばちゃんの家でコーヒーと呼ばれていた飲み物は、実はココアであったのだ。

それから、おばちゃんの思い出をもうひとつ。わしは25才の頃、イベンターをやっていた。最初にやったのが、郷土文化
会館(あわぎんホール)での『よしだたくろうかぐや姫・コンサート・イン・つま恋』というフィルムコンサートであ
る。(余談であるが、いきなり満杯になって儲かった。その時のあぶく銭で買ったのが、今もつかっているマーチンD-28
というギターである。)その後西岡たかしさんや、バンバン、佐渡山豊さん、豊田勇造さん、そしてキャロルを解散して
ソロになった永ちゃんの最初のツアーなどもやったが、当時の宣伝方法は金がないので新聞広告などはうてず、もっぱら
ポスターの街貼りであった。

今よりは規制がゆるかったのだと思うが、あちこちの電柱や、道路標識などにダンボールに糊付けしたポスターを夜中に
貼ってまわった。人通りがまだまだ多かった元町の歩道橋は重点ポイントであった。ただ風や雨に打たれて、はがれそう
になったり、さかさになったり・・・そんな時、わしが主催してるのを知ってたおばちゃんは、通るたびにポスターを
きちんと直してくれていたらしいのである・・・

そんなおばちゃんも、足腰が弱ってここ15年はほぼ寝たきりの入院生活であるが、やっぱり100才ってのはあっぱれ
である。同じDNAが少しはわしにも流れているはずである。39年後の100才ライブ目指してがんばろ〜〜と思いなお
した、おばちゃんの100回目の誕生日、おめでとぉ〜〜!

『ブルース・リーの教え?』

その日、わしは末広大橋を渡り、草木もなびく北へ北へと愛車のロータス・ヒロッパを走らせていた。

東工業高校跡の交差点にさしかかった所で、信号が黄色に変わったので、ブレーキを踏んでスピードを落とした。
片側2車線の中央よりの車線であった。横断歩道に自転車をおして信号待ちしている女子高校生がいた。彼女は
ヘッドフォーンで音楽を聴きながらまっすぐに前の信号が青に変わるのを待っていた。わしのロータスが停止線
に止まるやいなや、青に変わった信号を信じて彼女は、自転車を押しながら前だけを見て横断歩道を歩きだした。

その時であった。黄色のうちに交差点を抜けようと、わしの後ろから、左側、歩道よりの車線を一台の車がスピ
ードをあげて突っ込んできた。女子高生はこっちを見ていないし、たぶん車の音も聞こえていない。危ない・・
・・自転車の前輪をかすめて、暴走車は走り去り、女子高生はその場に一瞬立ちすくんで、また何事もなかった
ように歩き出した。あと一歩先に進んでいたらたぶん大けがをして病院に運ばれていただろう。『私は信号を守
っていたのになんで?』と言いながら・・・・。

1973年の冬、23才のわしは、今はなき栄町のOSグランドという映画館でブルース・リー主演の『燃えよドラ
ゴン』を見た。ブルースの動きは、その後見たドラゴン映画よりもこの映画が一番すばらしかったが、わしがも
っとも印象に残ったシーンが冒頭にあった。模範試合のあと、弟子に稽古をつけ、最後にお互いが挨拶をする場
面である。お辞儀をする少年の頭をひっぱたいてブルースが言った!「礼をするときにも敵から目を離すな!」

さてさて、今の世の中は、ブレーキとアクセルをふみ間違う枯れ葉マークの高齢者や、こんなに言ってるのに酒
を飲んで運転するダメおやじや、携帯でメールを打ちながらの危険な若者ドライバーなどであふれておる。後ろ
はともかく、せめて前や横からつっこんでくるルールなき運転手の目は確認しておいた方がいいと思うわしなの
だが・・・アチョ〜〜っ!

『ベレッタルール?』

その日はいつものように19時30分ころにベレッタについて、いつものように真ん中あたりの席で(その日は
トムあきくんが先にきていた)、いつものようにコーヒーをたのんで、いつものようにメンバーをまちながら、
いつものように先にやってる演奏者のみなさんの奏でる音楽を楽しんでいた。



集合時間の8時を大きく過ぎて最後のおいどんもやってきて、あと2組後にいよいよわしらの出番じゃなと心
の準備をはじめた時であった。突然気持ちの悪い音が聞こえてきた。前で出番の人が歌っている最中、広い
会場の真ん中あたりで順番待ちをしている人が、ギターの練習を始めたのである。当然、わしの耳には、ス
テージで歌っている歌と、そしてそれとはまったく関係ないキーとテンポの生ギターの音が合わさって聞こえ
てくる・・・・あ〜気持ち悪い。

ベレッタライブはファミレスのような大きな洋食レストランで月に一回行われているフリーライブである。2
曲、10分ほどまでのしばりがあるが、演奏したい人が、勝手にやってきて、ホワイトボードに名前を書き込
んで、その順番で演奏ができるという、我々アマチュアバンドマンにとってはそれはそれはすばらしいシステ
ム&スペースである。『当Liveのモットーは”楽しく”です、他のお客さんやプレーヤーとのトラブルは
御法度です。わいわい仲良く遊びましょう。』とも主催者のHPには書かれている。

偶然食事をしに来たお客様が、演奏をバックにおしゃべりをされるのは、演奏者の力不足もあったりなどで仕
方がないが、出演するために来てる人たちが、他の演奏者のライブ中にステージ近くの席で大声でしゃべくっ
ていたり、関係のない曲の練習を始めたり・・・・もしも自分が歌ってる時に他の人にやられたらどんな気が
するか考えたら分かりそうにおもうのだが・・・もしもその日、演奏を楽しみに聞きにきたお客の一人がわし
であれば、2度と行かんであろう。

わしは自分たちの演奏を一人でも多くの人に聴いて欲しいと思っておる。だから他の人たちの演奏もできる限
り聞きたいと思っている。話したいことがある時は10分待ってできる限りマイクセッティング変えの間にする。
どーしても他のメンバーと音合わせをしとかないかん時は、外にでるか、もしくは一番うしろのトイレの入り
口のソファーで小さな音でやる。音楽をやる一人として自分の出してる音で、演奏している人や、それを聞い
ている人のじゃまをしてはいかんと思う、最低のルールだけは守りたいと思うからである!こころ…は見えな
いけれどこころづかいは見える。おもい…は見えないけれど思いやりは誰にでも見える…はず・・・

『帰ってきた YAMAHA FG-180 赤ラベル?』

さてさて写真のヤマハのギターFG-180である。秋山君とDaxをやり始めた頃にはよく使っていたもので、
製造番号は『905822』。1968年5月から1969年3月まで作られ、今では赤ラベルと呼ばれているものの中
でも、それ以降の音叉マークではなく、ヘッドにYAMAHAとマークされているまぼろし?の名器である。



元々は常山パンが持っていたものであるが、彼がジャズに興味を持ち始めた1971〜72年頃、わしのものに
なった。たぶんいくらか金を払ったとは思うが、今ではすっかり忘却の彼方・・・脅し取った可能性も否定
はできない。当時から弦高が低く、非常に弾きやすかったので、76年にマーチンを買ったあともずっと交互
に使っていたが、79年に東京に行ってからはギターを弾く事もなくなり、30年間小松島で眠ったままであ
った。

そして昨年の1月にベレッタでリハビリライブをはじめてはやいもので20ヶ月が経った。いつかステージ
で使いたいと思いつつも、フレット音痴気味になっていたのでそのままになっていたが、12月の秋山君の
還暦ライブではぜひ使ってみようと、思い切ってリペアーすることにした。昨年10月のマーチンに続き、今
回も神山の匠、宇坂さんに『フレット音痴』『2弦のびびり』『ピックガードのオリジナル型の製作張り替
え』手術をお願いして、8/2に無事退院してきた。

そうして一昨日、8/24にベレッタで

33年ぶりに復活した『YAMAHA FG-180 赤ラベル』である。わしとおなじようにすっかり枯れている
ギターであるが、今までの懐かしい思い出とともに、これからも新しい思い出をいっしょに刻んでいけた
らと思っておる。乞うご期待・・・

『山田太郎の日?』

いつからいつまでなのかよく分からんが、世間はゴールデンウィークである。春2番うららかコンサート
をやっていた4/29『天皇誕生日』は『みどりの日』をへて『昭和の日』になり、『みどりの日』は4/29
から5/4に引っ越しとなっておる。

五月四日(みどりの日)→五月みどりの日→五月五日(子供の日)→山田太郎五月みどりの義理の息子)
の日・・・というワトソン教授のパーフェクト進化論である。山田太郎といっても嵐の二宮和也くんのこ
とでも、明訓高校のドカベンのことでもない。雨や嵐に負けず、毎日新聞を配っていた朝刊太郎のことで
ある。

そんな子供の日にファミリーnaoちゃんから久々にメールがきた。彼のMac短足日記の相性が悪く、直
接日記をUPできないので、これまでは日記をメールで送ってもらい、それをわしが代行アップしていた。
今回わりと軽めの内容だったので疑いもせずにそのままUPしたところ、さっき『あれは私信です』とメ
ールが・・・いやいや失敬しました。マッハ15で削除しました。

それと前回の『・・・そしてなぜかしゃべくっていて演奏を聴いていない。ならうしろに座ってくれとい
いたい』の部分についても、わしの気持ちをよくぞ言ってくれたと、ちょっと強調してアンダーラインを
入れたのもわしである。コメントを見ると、そのことについても彼に迷惑をかけたとしたら、まっことす
まんかった!

で、音楽に対するアプローチの仕方は人それぞれであるけれど、ベレッタに限らず、わしは人前で歌う時、
前回より少しでもいいステージができるよう、できる限り練習をしてのぞむようにしている。なので、技
量がないと言われればそれまでであるが、その場にいらっしゃっる方々には聴いて欲しいのである。

ベレッタのようなフリーライブのレストランに偶然めしを食べにきたお客さんならまだしも、演奏しに来
た人(いわば音楽仲間)であれば、もしも自分たちが演奏してる目の前の席で、やってる演奏に関係なく
大声でしゃべったり、笑ったりする人がいたら、いい演奏はできないし、後ろの席で見てるお客様の迷惑
にもなる・・・話したい方は後ろの席にうつるか、ロビーがあるところならそちらでやって欲しい・・
と、そこまで言って委員会から『もうちょっとゆったりでもいいちゃあ〜うん?』と言われるかもしれな
いが、わしはそう思っておるんじょ。

いいライブは演奏者と観客の気持ちがひとつになって作られる・・・「思い」は見えないけれど「思いや
り」はだれにでも見える・・・とわしはハゲしくAC〜〜〜!!

『帰ってきたココナッツ』

ココナッツが阪神淡路大震災の被災者のために、たった1度だけのチャリティーコンサートを開いてから15年。

こんなときだからこそ、素顔が元気!ココナッツ!大丈夫、まっすぐ生きてゆく。

『苦しくなっても、不安になっても、へっちゃらと笑ってしまえ。上手じゃなくても、きれいじゃなくても、
大丈夫!まっすぐ生きてゆく!』