雪がふるふる雪見てをれば!
もう30年以上も前のことになると思うけど、当時の「少年マガジン」に種田山頭火のマンガが のっていた。 彼がどんな人なのかはまったく知らなくて、小汚たない修行僧のような人物が主 人公のかなり地味なマンガであったと思のだが、彼の字数を気にしない、自由奔放な俳句?のひ とつが深く心にくいこんでいた。 どんな場面だったのか? 間違って勝手に思い込んでいるだけかのしれないが、古いお寺の本堂 のようなところで、もくもくと何かをやってたのだが、冷え込んできたのでふと外を振り返ると、 しんしんと雪が降っていた。 そこで『雪がふるふる雪見てをれば』と一句。 それだけの話だ ったと思うのだが、そのころの私にはガツンときた。 音もなく降る雪は、目で見てはじめて存在するが、その時振り返っていなければこの世にないも同 じなのか? 同様に世の中でおこっているいろんなことも、見たり聞いたりしてはじめて存在する んだ。 彼のように妻子を捨て、世間を捨て、すべてをすててしまえば、なにもおこっていないと いうことなのか? 年金問題も、イラク問題も、長崎の小6殺人事件も、『冬のソナタ』でヨン様がブームになってる ことも、8月にモーニング娘。を卒業する辻希美と加護亜依の新ユニット、W(ダブルユー)が、 「ドラえもん」のエンディングテーマを歌うことも、ジャニーズ事務所のYa−Ya−yah、 KAT−TUN(カトゥーン)、NEWSの3組が、「SUMMARY〜ダイジェスト」に出演す ることになったことも、窪塚洋介くんのジャンプも、テレビとか新聞とかインターネットを見るか ら存在するのか? 凡人の私は50を超えても、いまだに惑いながら今日もテレビのワイドショー を見つづけているのである。 『雪がふるふるテレビ見てをれば』