『どこまで続くリハビリの日々?』

それは昨年の5月のことであった。やつが腰にマドレーヌの菓子折りをぶらさげて『おひさしぶりで〜す』と
ゲタを鳴らしてやってきた。もらった名刺には(すだっち大学大学院・教授・農学博士)と書かれてあった。
なんとプロフェッサーになって4月に徳島に帰ってきたというのである。あのたっちゃんが・・・・。

彼が、えりちやゆいぴょんやゆいゆいやでかりんやみっき→と同じ城東中学の2年生の時、わしたちがはじめ
た音楽サークル(徳島ふぉ〜く村)に入ってきて、その後わしのやってたバンドの音楽に興味を持ち、バンジ
ョーをはじめ、とんとんやきはちゃんやくるみんと同じ徳島★★高校生になってまもなく、腕をあげた彼はバ
ンドの正式メンバーになり、いっしょにあちこちでよくライブをやっていた。

1978年、水産系大学生となった彼は下関に、そして翌年にはわしも東京に仕事場を移した。3年後の82
年、わしがマネージメントをやって、ビクターから2枚目のアルバム『ノラが扉をあけるとき』をリリース
したばかりの石橋和子くんにKBC九州朝日放送からお仕事の依頼がきた。『青春・今・ド真ん中』というラ
ジオ番組でいろんな高校や大学のクラブ・サークルを取材して紹介するという番組である(主題歌にはアルバ
ム収録曲の『キラーストリートで』を使ってもらった)。

で、月に2度、東京から福岡にかようことになった。いわゆる2本録りである。大学を卒業した彼は九州大学
大学院でシャコエビの研究をしていると聞いていたので、取材の翌日キャンパスを訪ね、そこにあった楽器を
持っていっしょに一曲演奏したのが最後の再会であった。

あの日からおよそ30年・・・ながらく連絡のなかった友人知人が久しぶりに訪ねてくる事はたま〜〜にでは
あるがなくはない。だが、だいたいは、ライフダイナミックスであったりアムウェイであったり、便利なファ
ックスシステムであったり、選挙の話であったり・・・なんとかしたいがなんにもできない貧乏ヒマありのわ
しにはいつも悲しい再会フォーエバーであった。

身構えるわしに彼は言った。『バンドを再開しませんか?』その日からわしのリハビリの日々が始った。まず
は今年5月のわしの還暦にあわせ、還暦復活ライブに向けて、月に一度集まって練習をはじめることになった。
今年の1月からは小さなリハビリライブも始めた。そしてちょ〜しにのって、先週末にはサイトも立ち上げた。
その当時にわしたちがかなりのスピードで高速プレイをやっていたのかが証明されるビデオも見えるのでぜひ
ぜひ勇気のある方は一度のぞいてみてくれ。何?たっちゃんのバンジョーがうまいのは分かったが、ギターを
弾いてる髪の毛のある男前は誰じゃって?わしじゃわしじゃ!!