『愛をください?』

もう20年も昔のことである。その頃まだ元気一杯だったわしがマネジャーをやっていたPANTAに楽曲の依頼が
きた。打ち合わせをかねて依頼主がレコーディング中だった都内のスタジオにPANTAと出かけた。そこにいたの
が、当時19才の川村かおりちゃんであった。それはそれはキラキラと輝いておった。

その時に提供した歌は『タンポポの爆撃隊』というちょっとかわったタイトルの曲で、1990年7月21日にリリー
スされたかおりちゃんの『Hippies』というアルバムに収録されている。どんな曲だったのか、今ではすっかり
忘れてしまったが、彼女とのことで今でもわしが自慢できることがひとつある。

わしのPANTAとの最初の仕事は、サザンオールスターズの桑田くんが監督をした『稲村ジェーン』の撮影からで
あった。その映画でPANTAは3人の伝説のサーファーの一人として金目鯛船船長の役で出演した。そのプロモー
ション?ということもあって、1990年8月7日になんとあの『笑っていいとも』の『テレフォンショッキング』に
出た。8月6日桑田佳祐くんからの友達のわっ!であった。

で、その輪を誰につなげるか?ということでPANTAからは、『稲村ジェーン』つながりを続けるためにも、同年
代でもある伝説のサーファーである残りの2人、伊武雅刀さんと草刈正雄さんの名前が出た。しかし残念ながら
2人ともスケジュールがあわなかったのである。でででどーしようかということになって、まだそんなに禿げ上
がっていなかったわしの頭にビビビっときたのが、新アルバムを発表したばかりの川村かおりちゃんであった。

8月8日に川村かおりちゃんが『笑っていいとも』に出演したことが、少しでもその後の活動のお役にたてたのな
らよかったのであるが・・・・。

1年間の限定で引き受けた頭脳警察の再結成プロジェクトのマネージャー役であったが、1991年2月27日、渋谷
公会堂でのコンサート『最終指令自爆せよ』、そしてその後の3月にたった一ヶ月間でレコーディングした最後
のアルバム『頭脳警察歓喜の歌』でわしの出番は終わった。そのアルバムには1年すこしの間にPANTA、そして
頭脳警察を通じてわしが知り合った人たちにいくつかの曲でコーラスをお願いした。

荻野目洋子ちゃん、遠藤ミチロウくん、千葉美加ちゃん、清水ミチコちゃん、藤井一彦くんたちのクレジットと
ともに川村かおりちゃんのクレジットがしっかりと刻まれている。